Alv hagen -妖精の舞う園-

MMO-RPG「エミル・クロニクル・オンライン」関連を中心としたブログです。どなたでもコメント大歓迎ですよ♪

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海と山の織りなす鎮魂のとき

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今度の年末年始は曜日に恵まれたせいか、12/29~1/6のうち1/4を除いた8日間も休むことができたため、一昨日から昨日(12/30~31)にかけてかねてよりずっと行きたかった山形と仙台に行くことができました。

お金がないので全て自分で車を運転して、ほとんどを一般道で北陸から新潟を経由して約半日。
本当は運転に全然自信がないし、ヘタだと周囲から日常的に言われている者なのでこれだけの長時間・長距離を走るのは非常にしんどかったけど、それでもこの機会を逃したら次はないと思ったし、半ば強行軍のようにして走りきったのでした。
30日は山形までずっと雨が降り続き、そして31日の復路は正面から激しく雪が降りつけ新潟県の上越地方を通ったときは猛烈な暴風雪の吹雪で前進するのも危険なほどだったり、奥羽山脈を越えて仙台に入るとそれまでがウソのように穏やかな晴天だったり、天候的には決していい状況ではなかったですが、それでも新年を迎える前に自宅まで帰り着くことが出来て、ECOのフレさんとも話をすることも出来て本当によかったと思っています。

今年の春、ECOのリングメンバーにもなって下さっているフレの方が仙台に行く機会があったそうで、その際に私がこのブログで以前書いた記事にある「かつて山形に住んでた頃に一番好きだった散歩道」の仙台沿岸部までわざわざ行って写真を見せて下さったことがありました。
それを見せていただいてから、やっぱり私も是非この場所に直接行って、震災・津波という現実を直視したいという思いを強くしていました。


そして、上記の以前書いた記事の中でも、私にも今なお行方が分からない(私個人として安否を確認するすべがない)福島の友達がいることを書きましたが…一年の最後を締めくくる12月31日=大晦日という折、心の整理をつけたかったというのも一つの理由だったりします。


そして30日の夜に山形到着後、天童で仮眠して翌朝関山峠を越えて仙台に入り、ちょうど日の出を迎える時間頃に目的の場所にたどりついて目の当たりにしたのは…想像をも超える今の被災地の現状でした。
記憶の中にあるこのあたりは干潟の中に砂浜と松林があり、夏には近隣の子供たちが海水浴を兼ねて遊び回る穏やかな場所だったのに…松林は2~3本が生えているだけで全く見る影がなく、砂浜はどこにあったのがが分からないほど完全に消滅していました。
住宅が立ち並んでいたあたりには、建物の基礎となる土台のコンクリートと、そこから伸びる錆びた鉄筋が無数に並ぶ光景広がり、中には敷地の入り口に表札入りの崩れかかった門だけを残して他には何もない場所もありました。
また道路はあの日からこれまで修繕の手が全く入っていないのかと思うほど凹凸が激しく、陥没した部分には雨か昼間の陽射しで解けた雪解け水で水没している箇所さえある現実…

そして、あの日和山も最初はどこにあったのかも分からず、探すのに難儀した挙句に写真で見た看板の場所に。
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フレさんからの写真と同じように看板にはここを訪れたらしい人たちの寄せ書きが書かれていて、東京から来たという人、仙台と同様震災を経験してきた神戸から来たという人、そしてこの地域を心から愛しているという地元の人の書き込み。
こんな時間なのに、近くには東京のナンバーをつけた車で来たらしい人がいたので何気ない素振りを装いましたが…自分の車に戻って、この震災に関してこれで何度目かもう分からない涙が出てしまいました、、、

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最後に、あんな悲惨な災害があってもいつもと変わらずに昇る朝日を希望のシンボルにしたいという思いから1枚撮り、改めて犠牲となった方々の冥福を祈ってこの場を後にしました(※上記したように道路は手付かず同然の場所が多く、ここに来るまでに土ぼこりが激しい地帯を通ったためにフロントガラスが少し汚れたまま撮ってしまいました)。
▼追記の開閉

花は咲く



先日注文していたCDが届いた。
発売日からすると、ものすごく今さらの注文ではあったけど…NHKで度々放送されているのをテレビを見ていたら、やっぱり買わずにいられなくなった。
家にいるとき、通勤のとき、あまりにも何度も聞きすぎたせいで仕事中でもメロディーが頭から全然離れなくなってしまったりもしたけど、それでも全く居心地が悪くならないくらい、とても素敵な曲だと思う。


ECOねくとの感想のときと同じく、思うところがあまりに沢山ありすぎて頭の整理が全然出来てないので…こうして記事を書いているタイミングで一度に書ききってしまうのではなく、思い浮かぶごとに書き加えるかたちで今回の記事を書こうと思っています。
▼追記の開閉

異世界へのECOねくと

SNSの方にも少し書いた通り、今月発売された運営公認の小説版、「ECOねくと」の感想です。
本当は先週既に読了してたけど、思うところがありすぎて文章にまとめ切れなかったのと、毎日疲れきっていて記事にする精神的余裕がなかったのでした

各論はこの後に書くとして、全体を通した総論的な感想を一言で言うと…
「8月に発売されるドラマCDの内容が不安になる」ということでした。
今年4月のエイプリルフールの際に「パンツフルオンライン」などと公式自らネタにしたほどだし、socks装備によって下半身の下着が変わるのは紛れもない事実なので、ECOをプレーする動機を下着のために追い求めるのもそれ自体は決して悪いことだとは思いません。
むしろ、そのこと自体を悪く言う権利は他の誰にもないと思います。
チートやRMTなどの不正行為や、悪質な横殴り・レアアイテムの独占のような明らかに他の人へ害を与える行為でない限りは、そういった個人的趣味を追及する権利はむしろ堅く守られるべきだというのが私の考えでもあります。

でも、ECO初の運営公認による小説作品において、著者はここまで変態的な思考の持ち主を主要な登場人物として、しかも自分の追い求める趣味上の理想のためなら手段を選ばず、自分がエントリーしたPCであるミラたちの気持ちを公然と無視し危害を与えてまで理想を実現しようとする絵理の姿を描き出しているのを見て、もしも読後に巻末の後書きや広告でECOを知った人がいたとしたら、ECOのことを一体どんなゲームと思うか著者は考えたことがあるのでしょうか?
エイプリルフールの際のサブタイトルを別にするとしても、ネットの世界ではsocks装備によって変わる下半身の下着について熱く語る人もいるし、それ自体は別に全然構わないことだと思いますが…このような場で一貫して下着のことばかり描くのはあたかもECOのプレーヤーのほとんどがこの仕様に熱く注目しているかのような誤解をされないか、不安になったのでした。

中盤以降で明らかになる絵理の密かな趣味について、私にも他の人に公言できない(言えば理解してもらえないし、むしろ気持ち悪いと思う人もいる)好きな創作小説のジャンルがあるので、少なくとも絵理の趣味を悪くは言いたくありません。
しかしながら、仮にも嫌がっている相手が目の前にいることを明確に認識しているにもかわらず、自分の欲望をごり押しするというのは理解できないし自分から周囲の人に理解してもらえる小さな可能性をも踏みにじっているとしか思えないのです。
▼追記の開閉

夢見る時代の孤独

相変わらずECOに関連する記事を書けてないし、今これを書いている時間も時間なので…ごく短い記事を。
今、ニュースで大きく報じられている事件に滋賀県大津市のいじめ自殺事件があります。

ここ最近私が時事関係で書いたものは、東日本大震災やてんかん患者の自動車事故のように、自分にも接点があるというようなことばかり書いてしまったので、こう連続して書いていると「それを言いたいだけなんじゃないか?」と思われそうで怖いのですが
思い出したのは幼稚園から中学校卒業まで、小学校4年生の1年間を除いた約10年間、様々な相手から執拗なイジメを受けた私の記憶でした。
最初のきっかけは親の都合で隣の市から引越し、転入した幼稚園で私の使っていた黄色い靴入れに書かれていた「かせい」の文字。
これは隣町に住んでいた頃に通っていた「かせい幼稚園」(幼稚園なので、ひらがなで正式名称なのですが…家政の意味なのかな?)の靴入れをしばらくの間使っていたためですが、これを火星と取った周囲の園児から火星人!火星人!とからかわれたり仲間外れにされたことでした。

幼稚園を卒園して入学した小学校では、幸(ゆき)がつく私の名前から雪女とか雪ババアなどとあだ名をつけられ、「雪ん子と雪男と雪女は山に帰れ!」などと給食を配ってもらえないまま午後になったり、5年生になってからは担任のY先生が積極的に加担して昼休みの過ごし方をドッジボールに強制して、動きがのんびり緩慢なせいでボールを避けるなど機敏な動作が苦手な私を他の子供たちと一緒になって薄笑いしながら集中攻撃するなど、最近のイジメと比較すれば程度の軽いものでした。

その後、今でもトラウマの残る…中学校の3年間。
非常に不潔な話ですが、トイレで汚水管に手を入れることを強要され、手が汚物まみれになって周囲から臭いと忌避されたり、刃が鈍って切れ味の悪い包丁で突き立ててみろとある意味自殺の真似事をさせられたり、生卵を頭からかけられて「それがお前のシャンプーだ」と洗髪を命じられたり、同じクラスの男子生徒から性に関わる暴力を受けて自殺未遂を起こしたこともあります。
高校はイジメがなかった代わりに軍隊並みの厳しい管理教育の学校で、本当に心身が解放されたのは遠く離れた地で一人暮らしを始めた大学に入ってからでした。

そして、今回の大津市の事件。
実を言うと、ECOでオープンβ以来長く親しくさせていただいていたフレンドの方の一人から、多くを書けませんが自身についての個人情報を多く打ち明けられたことがあり、この事件といろいろな意味で(決して直接的な意味ではありませんが)接点が多くあると思わずにいられなかったのです。
その方とは複雑な経緯があってECO内で話をする機会がなくなってしまいましたが、この大津という街でこんな陰惨なイジメが繰り広げられていたなんて、フレンドさんの話をもっと懸命に聞くべきだった…と後悔しました。



今、イジメを受けている小中学生、高校生に言いたいこと…それは「あなたは何も悪くない」ということ。
そして、「あなたの苦しみを分かってくれる人はどこかに必ずいる…だから決して自殺はしないで」。

つぶやき…というには多すぎる一人ごち

人というのは、いろんな個性を持った人がいます。
一定の規格に基づいた、工場で大量に量産されるロボットのような人間ばかりでないのは、生物の進化の歴史を考えればすぐに分かることのはずです。
または、MRSAやVREなどに代表される抗生物質耐性細菌が誕生した経緯を考えてもいいかも知れませんが…
これらに共通して言えるのは、「無数といえるだけの個性(特徴)を持つ存在の集合体だからこそ、絶滅寸前にまで追い込まれても生き延びる個体が必ず出て、絶滅への様々なプレッシャーを乗り越えてきた」ということ。

私の大好物な食べ物の一つにキャベツがあります。
キャベツは「甘藍」という和名からも分かるように、その甘味を最大の特徴としていますが、アブラナの一種から突然変異で誕生したこの植物は(品種改良が進んだ現在は別ですが)その構造上花粉を他の個体へ受粉する能力がほとんどなかったため、そのまま自然界に放置されていればすぐに絶滅する、非常に脆弱で儚い植物でした。
もし、人間社会も野生動物と同じように「弱肉強食」が根底の原理にあるのなら、なぜ人はこのキャベツという「無視していればすぐに絶滅する」植物に目をつけ、農作物として命脈を保たせたのでしょうか?
答えは当然、その葉を食べると甘い(美味しい)からだと思います。
結局、キャベツは「自力で繁殖も困難で、青虫に食い荒らされるなど身を守る力もない(多くの植物は食害対策として猛毒を体内に蓄積させたり、罠を仕掛けて食べに来た昆虫を退散させるなど自衛手段を持つものが多くあります)」非常に弱い植物ですが、その一方で「その葉がとても甘く美味しい」という長所を持っていたからこそ、人間の支えを受けることで生き延びることができたのでした。

「弱いこと」=「罪」というなら、キャベツはその味がどうであれ絶滅を免れることは「弱肉強食という自然の掟」が許さなかったはずです。
このキャベツと人間の関係を、人間同士に置き換えたらどうでしょうか?
身体が弱い、虚弱体質の子供や手足などに障害を負った障害者、一人で食事や排泄もできないほど弱った高齢者は、普通の健常者よりも弱い・劣った存在だから放置して死ぬのを待て、という人がいるでしょうか?
答えは言うまでもないと思いますが…これが普通の人の範囲での「身体的な強さ(腕力や機敏さなど)」「精神的な強さ(打たれ強さ)」の話になってくると全く違ってきます。

私自身の体験で言うなら、イジメや暴力を受けても「逆襲や返り討ちにする力がない(身体が弱い)方が悪い」、冷酷な目に遭って心が傷ついても「落とされた谷底から這い上がるような根性がない(精神が弱い)方が悪い」というのが周囲の人々の常識的価値観になっていました。
その時点で、弱い人間は他の部分でどんな良さがあろうが存在価値はない…などと本当に言えるでしょうか?

私にはこんな長所、才能があるなどとここで書いても読まれる方には自惚れとしか感じられなくなってしまうと思うので、書くようなことはしませんが…私にも私なりに「そう簡単には他人に負けない」自信のある特技もあります。
しかし、現実の社会のように「心も身体も弱い」ならイコール社会の廃棄物程度の存在、と本当に言うのなら、自力で繁殖も出来なかった太古のキャベツを、その味がどうであれ人類は許すべきでなかったはずではないでしょうか。


これまでの内容とすこし違うことですが…ネットの世界にある「才能の無駄遣い」という言葉。
特に動画サイトなどでは、この言葉は製作した方への賛辞という意味合いが強く、決して悪い意味とは限らないと思います。
ですが、これを言葉そのままの意味に取ればバカと同じくらい罵る意味にも取れてしまいます。

ネットでこの言葉を見るたびに私が思うこと、それが「本当にムダな才能なんて絶対にない」という考えであり、私の信念でもあります。
記号や文字だけで様々な人物の顔を描き出すAA(アスキーアート)や、驚天動地するほど独創的な妄想を描いた同人誌など、若い世代の人々の中には突出した才能でありながら「実生活や社会に何の貢献もするものではない」という理由で政治や国際経済のえらい人々から論評にも値されず、ネットの外では存在自体を黙殺されているも同然の才能が様々にあります。
バブル崩壊以降、近年は特に新興国の台頭もあって、この国の衰退論や復興への方策がテレビなどで様々に論じられていますが、そのほとんどがかつて豊かだった時代や現時点の価値観に基づいたものばかりに感じられることもよくあります。
もはや急激に経済発展する段階ではない、この国は全く新しい局面に入ってきていると認識している学者は少なくないはずなのに、この国が持つ強みに対する認識が大きくボケている…と思わざるを得なかったりもしています。
だからこそ、こんな閉塞しきった時代だからこそ特に若い世代が持つ「才能」というものに対して、一切の偏見を排して理解し、実生活やこの国の発展に生かしていくことをこそ考えるべきだと思っています。

極端な話、泥棒や詐欺の天才的な才能であっても、これを実際の犯罪ではなく泥棒や詐欺師の心理を分析したり、知り尽くした手口を防犯への研究やアドバイスとして(ハッキング犯罪に対するホワイトハッカーのように)社会貢献の手段にすることもできます。
AAなど一見実生活には何の関わりも見出せないようにも思えますが、非常に大きなサイズとなる画像データを、文字や記号という極めて小さなデータで構成することによって革新的な画像のデータ圧縮技術への足がかりになるのではないかと空想したり、データ形式の変換次第で機密性の非常に高い情報の盗聴防止に応用することもできるはず、などと考えることもできるのが「才能の無駄遣い」と呼ばれている才能だと思うのです。



最後に…最近ここが何のブログなのか分からなくなってしまってきているし、ECOでのこともちゃんと書いていかないと…orz

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サクラミカナタ

Author:サクラミカナタ
精霊や魔術理論、世界各地の神話伝説をこよなく愛する物好きプレーヤー。

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主にルピナスサーバーで活動しています。

アヤナ・ラディス(アストラリスト)
LV67/34


霧羽・ライザーグ(ドルイド)
LV102/50/50

メインは上記の二人ですが、時々以下で活動していることもあります。
ユウラ・アスハラ(マリオネスト)
LV102/50/50

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アルザラッド・リヴェイラス(エクスプローラー)
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